【3日目】
朝5時に出発。真っ暗な中出発しましたが、だんだんと陽が昇ってきました。



綿花畑の脇で青空トイレ。

綿花は1年で2回9月と11月に収穫。
手で摘んでいるそうです。

国境に8時に着いたものの、イミグレーションは9時から。結構寒くて、結局またバスに戻ることに。
国境を通過するのに1時間ほどかかりやっと入国しました。
なぜかPCR検査をしたり、領収証は全て手書きのカーボン紙で、そりゃ時間がかかりますは。。という感じでした。

その後トヨタのランドクルーザー5台に分乗して15分ほど走り、トイレのためだけにホテルへ。かなり大きくて綺麗なホテルでした。
それにしても、飛ばします。
クフナ・ウルゲンチの街に入って、まずは昼食。



昨日とほぼ同じようなメニューでした。そして、ガイドさんとの闇両替。笑
クフナ・ウルゲンチ遺跡へ。ここは世界遺産に登録されています。

クフナ・ウルゲンチは、紀元前のアケメネス朝時代には既に街があった。とされ、995年ホレズム王国でマームン朝が起こると、グルガンジと言う名称で首都となり、アムダリア川の地の利を生かして発展を遂げます。
1017年にマームン朝がチュルク系のガズナ朝に敗れ、ナグルガンジの名は、チュルク語風になりウルゲンチとなりました。
ウルゲンチとは、狼の谷、クフナは古いという意味です。
しかし、1221年にモンゴル軍の襲来に遭い、7ヶ月の攻防の末陥落。街は徹底的に破壊されました。それでもわずか10年後には街の再編が進み、キプチャク・ハン国の東の州都として、再び繁栄を始め、近くを流れるアムダリア川の支流の恵みを受け、ペルシャに通じる大交易都市になります。
しかし、街の反映はなくは続きず、1379年にはヒヴァの領有を争い、ティムール軍の攻撃にあい、再び壊滅的な打撃を受けます。ティムールの命によって街の一部は再建されますが、17世紀にアムダリア川の流れが変わり、水の利が絶たれ、街として衰退します。

トレメク・ハニブ廟は外壁に一部タイルが残っています。クフナ・ウルゲンチで、もっとも規模が大きい建物で14世紀にこの地を支配していた、クトゥルグ・ティムールの妃の廟です。




高さ25メートル。二重ドーム構造を持っています。建物の内部は、天井が素晴らしかったです。

スルタン・タケシュ廟
この後、中高生の遠足みたいな子たちに囲まれて、写真を5枚ほど一緒に撮りました。それほど東洋人が珍しいのか。。

ここから先、途中はデコボコ道。遺跡から地獄の門までは5時間。ボク史上、最悪の道でした。
でも、こういう経験が結局思い出に残るんですよね。


それにしても、トルクメニスタンは道の補修を全くしていない。。補修していないところは、路肩を走ったり、砂漠の中を走ったりしました。
途中で休憩。
ガイドさんが、メロンを買ってくれました。
日本風の甘いメロンでした。
土漠を走ります。助手席で良かったです。

陽が沈んで行きます。
青空トイレ休憩。
地獄の門に行く手前で他の車を待っていたらなかなか来ません。1時間ほど待ってやっときましたが、どうやら砂漠の真ん中で暗闇の中パンクをしていたようです。

地獄の門にやっと到着。これでもかつての3分の1になってしまったようですが、火が燃え盛っています。
風下に立つと、暖かかったです。それにしても、よくこんなに燃えているものと思いました。
地獄の門は、アシガバッドの北約250キロメートルの小さな村ダルバサから9キロメートルほどカラクム砂漠の中に入った場所にある陥没ガスクレーターで、直径約70メートル、深さ約20メートルの巨大なクレーター内で、荒らしく燃える炎を見た近くの人々が、そのおぞましさに地獄の門と名付けたと言われるところです。
ソ連時代の1971年地下資源探索のための調査採掘していたときに、落盤事故が起き、穴の底から天然ガスが吹き出しました。吹き出す天然ガスが有毒であることから、周辺住民への健康環境に配慮して火をつけた。技術者たちは、せいぜい数週間で思いつけると思っていたらしいが、火は消えることなく、今も燃え続けているというのができた理由だそうです。
ここにはホテルがなくテントかユルトという、モンゴルのパオみたいなところのどちらかです。

まずは夕食

肉が美味しかったです。

こちらが、今日泊まるユルト。
内部はベッドが2台。

一晩中、灯りがついていましたが、毛布をかぶって寝ました。
